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なぜ結婚相談所を始めようと思ったか

私は大学卒業後製薬会社に就職しました。大阪支店に営業担当として配属され、売り上げを上げる事に注力し、張りのある毎日を送っていました。そして入社してから8年後に、東京の本社の内勤部門に異動になりました。そこでは支店の営業所員に対し、活動の指示を行っていました。


しかし、現場での仕事しか経験の無い私には、本社で必要とされる交渉能力や何かを生み出す発想力、効率的な業務遂行等の必要スキルに欠けていました。努力・根性・熱意で売り上げるタイプだった私には、本社勤務は全く異文化の部署でした。そして私は沈み始めました。


会社も休みがちになり、上司に言われて受診すると、典型的なうつと診断されました。処方されたお薬を飲み、やがて薬が効き日常生活を取り戻す事ができました。しかし、半年後再びうつ症状が現れました。この時、明確な原因がわからず、薬も効果を現わせず、結果的に休職する事になりました。1年半休職した私は、本社に在籍するのは難しいという事で、出身である京都の営業職を申し出ました。


京都に配属されてリハビリ勤務が始まりました。4時間、6時間、8時間と1年間かけて勤務時間を伸ばしていきました。そしてフルタイム勤務になったのですが、モチベーションは高まりませんでした。月に1~2回は会社を休んでおり、かつてに比べればかなりマシなのですが、どうしてもやりがいが感じられず、上司に相談し、一人前の担当地を持たせてもらえないか伝えました。


支店長と人事部員と上司と私の4人で話しをして、何とか他の人と同様の担当地を持たせて欲しい旨を伝え、ラストチャンスという事で担当させて頂く事になりました。


そして、皆と同じ担当を持つことになった私は、モチベーションも高まり、一気にフルスロットルで働きました。徐々にその成果が出てきて、半年後には営業所でもトップクラスの伸び率を残しました。さらに2期連続で売り上げを伸ばし、営業所の稼ぎ頭となりました。もちろんこれは前任の方のおかげという部分もありましたが、波に乗れたのは確かです。


プライベートでは、京都に配属になって2年目に、当時流行していたmixiのオフ会を開き、特に同じ年齢の友達が沢山できました。京都では高校の同級生が少ししかおらず、mixiが私に与えた影響は非常に大きかったのです。


そして、仕事面で上昇気流に乗った私は、無敵とすら感じていました。しかしそれが落とし穴だったのです。ある日突然私は意識を失ってしまいました。それも普通の路地で。通行人に発見された私はそのまま病院に運ばれたのでした。いわゆる躁(そう)状態になってしまったのです。つまりは、私はうつ病では無く躁うつ病だったのです。


おそらく、元々躁うつ病で、薬物コントロールができておらず、仕事面で好調だったためにかなりハイテンションになり、それが振り切って意識を失ったのだと思われます。そして精神病院に入院し、退院するまで1カ月半を要しました。


この意識を失った当日の晩、mixiきっかけで仲良くしていた友人達と3人でご飯を食べる予定でした。しかし、私は倒れて病院に運ばれており、当然ながら欠席の連絡も入れる事ができませんでした。そのご飯会に現れず、連絡もない状態を、その友人達は何かおかしいと感じたらしく、すぐに大阪にあるお店から、京都の私の自宅まで飛んで来たのでした。


彼らは私が自殺したのではないかと思ったそうです。もしくは事故に遭ったか。私の自宅には何の形跡も見られず、帰らざるをえませんでした。その後、仲の良い友人達の間で連絡を取り合い、どうするか相談したそうです。私の苗字が珍しかったので、私の実家の番号を検索する事ができ、連絡を入れたそうです。その時母が、今はいませんと答えたらしく、いないという返事であれば、危険な状態ではないだろうと判断し、友人達は様子を見る事にしました。


後日この話を聞いた私は、友人達の思いやりに強く心を打たれました。つながりとはこれほどのものだと初めて知ったのでした。


退院後、仕事の継続が困難と判断した会社は、私に退職を持ち掛け私もそれに応じる事にしました。それから2年間、1人で何もせずに過ごしました。ストレスを感じにくい環境に身を置き、その後は社会復帰をしようと、仕事に就く事にしました。ハローワークに通い、まずはバイトから始めようと思い、旅館のバイトを始めました。しかし、長くは続かず退職し、また別の仕事を探しては短期間で辞める事を繰り返していました。


数年後ある会社に正社員として1年ほど勤めていた私は、勤め人は難しいと感じており、また、自分で仕事をしたいという願望が膨らんでいました。その時、自分は何ができるか、何をしたいかを考えました。


その時、自分の中で浮かび上がったのはあの日の夜の友達の行動でした。大阪から1時間かけて京都に私を探しに来てくれた友達や連絡を取り合って共に心配し行動してくれた友人達。私はきっと、周りの思いやりと優しさに生かされているのでしょう。


そして、出会ったのはmixiというツール。つまりは環境です。人と人のつながりを生み出す環境が整えば、人は知り合い親しみ合う事ができる、強い絆を結ぶ事ができる事を理解した私は、それを仕事にできないだろうかと考えました。


人と関わる仕事自体は勿論沢山あります。ただ、その中でも人と人とを結びつける仕事となると、限定されてきます。そして強い絆を作り出す事ができる縁結びの仕事こそ、やりがいがあるのではないかと思い至りました。そして私は結婚相談所を始めようと決意したのでした。


今年で6年目を迎え、日々強くやりがいを感じています。ご成婚されたカップルからお礼の言葉を頂くと、私もご縁を結ぶきっかけになれたのだと実感でき、感動を覚えます。私は49歳ですが、定年もないので体が動くうちは続けていこうと思っています。日々学びです。自分を磨き、成長していく事で、より多くの方々の幸せのサポートをさせて頂けたらと考えています。



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